身体論から楽器論へ。
「今、転換期にきている」と羽野昌二はいう。「突っ走ってガンガンやっていくやり方から、この2、3年で変わった」と。
1990年代、羽野は精力的に日本と海外を往復していた。旧ソ連も含めたヨーロッパ、アメリカでハンス・ライヒェル、ペーター・ブロッツマン、ヨハネス・バウアー、ヴェルナー・リュディ、ユージン・チャドボーンなどと共演する一方、彼らを招いて日本をツアー。そしてまた、和楽器も加えたプロジェクト、ポリ・ブレス・パーカッションにも取り組むなど、内と外に向けて積極的な活動を展開。その頃の羽野の演奏は、まさにドラムスによる身体論。新体道からの強い影響が窺えるものだった。
「今までは人がいて、自分がいて。音を出して、返ってきて。吸収して、出して。空間すべてが、うわーっとそこにいる人も自分も関係なしに広がっていけば面白いと思っていた」けれど、ソロ・インプロヴィゼーションに取り組むにあたって「そうではなく、もっと音に集中して斬新なもの」を発見したいと考えたと語る。「人と演る時は、他人に触発されるから、自分の一歩出たところの音を拾える」が、「ソロの場合、自分の中からしか生まれない。どこまで自分が掘り下げられて、どこまで自分の無意識的なものが出せる空間を作れるか」。それは自身の持っていた「ドラムスの概念を覆ること」も含めて「羽野昌二の音」を新たに見出す行為だ。
と同時に、ドラムスという楽器のさらなる可能性の探求でもある。マックス・ローチやエルヴィン・ジョーンズでジャズ・ドラムスと出会った羽野だが、「自分はドラマーであり、パーカッショニストではない」とドラムスという楽器には人一倍のこだわりを持つ。近年は、フィジカルなサウンド、リズムの多彩さに加えて、音色やサウンド・テクスチャーの用い方にも新局面を見せる。
「ソロをこれほど真剣に考えてやったことはなかった」という羽野。「ドラムスという楽器とどう相対するか」というところに再び帰ることで、ドラマーとして新たな領域を歩み始めた。
横井一江