パリの夜が明けた、朝日が疲れ切った内蔵に突き刺さる、すすけたビルの壁にもたれかかり、目をつむり、小鳥たちのさえずりに耳を傾ける/メトロが爆音とともに走り去っていく、次を待てばいい、時間ならいくらだってある/カセット・レコーダーはぐるぐると回り続けている/リオ・デ・ジャネイロ、荒んだ雰囲気の通りを歩きまわる、アスファルトから立ちのぼる熱気で頭が朦朧としてくる、まずは一杯やることだ、そうすれば…/サルバドール、街頭に座り込んでギターを弾きながら歌っている黒ずんだおやじ、泥まみれでまるで地面から生えているようだ/オール・トゥモローズ・パーティー、ベルベット・アンダーグラウンドの曲が、ふと、脳裏を掠める/イイコト、ヨクキイテ、アナタノ考エテイルコトハ、サッパリ解ラナイワ…、眼の前で開いたり閉じたりする唇の動きしか見えない、音がかき消されている/突然の夕立ち、激しい雨に身動きがとれず、ひとびとはユニオン・スクエアの地下鉄の入り口に呆然と立ちすくんでいる、汽車賃を恵んでくれんかね、家に帰れんのだよ、となりの黒人の乞食がせがんでくる、1ドル紙幣を2枚くれてやる/黒い帽子を目深にかぶり、ワイン・グラスを片手に口をとがらせながらジョナスが言う、わたしはアートなんて嫌いだね、と/リスボン、この街には以前来たことがある、海辺へ下りていく急な坂道は以前見たことある、そんなふうに感じるのだが、それがいつだったのかさっぱり想い出せない/いつも、いつでも、いつだって、カセット・レコーダーは回り続けている/肌と肌のこすれる音だけが、感触だけが、耳にこびりついている/成田空港へ、車窓の外を流れゆく景色を眺めながら、きのうのでき事を振り返ってみようとするが、おぼろげにしか想い出せない/そう、すべては過ぎ去ってしまった…
これまでの人生で、わたしはずいぶんと旅を重ねてきたように思う。ボヘミアン特有の何処へでも行けるという自由さと、何処へも属せないというの哀しさを抱えながら、街から街へ、めまぐるしく移動し続けてきた。べつにそうしたいと願ったわけじゃない。日本に育ったが日本の社会にはまったく馴染めず(そもそも、あの国でわたしは異邦人でしかなかった)、帰るべき故郷を失ってしまったので、しょうがなしに落ち着ける場所を探していたのだ(まあ、そのうちそんなことはどうでもよくなってしまったのだが、困ったことに放浪癖だけが身に付いてしまった)。
何処へ行くにもカセット・レコーダーを持ち歩いていた。旅の道連れというわけだ。いつも、気に入った音に出くわすと、録音ボタンをプチッと押し、記憶の磁気をテープに刻みつけてきた。音の日記みたいなものだ。なぜこんなことを続けてきたのか? いまだによくわからない。おそらく、取り憑かれていたのだろう。しばらくすると、莫大な量のフィールド・レコーディングが溜まり始めた。録音済みのテープは聴き返すこともなくダンボール箱に放り込み、気が向いたときに取り出しては、新たな旅の途上でランダムに音を重ねていった。そうやって、わたしがこれまでに体験してきた記憶の堆積は、時間と空間を飛び越え、さまざまな土地の匂いを吸い込み、ほこりと手垢に塗れ、もはや現実から切り離された不思議なサウンドスケープと化していった。
このアルバム『ボン・ボヤージュ!』は、過去14年間に渡ってカセットに録りためてきたそれらのフィールド・レコーディングをまとめたものだ。最後の2曲にループを足した以外は、曲のなかではいっさい編集を施していない。すべてが偶然の積み重ねによって形成されていった。エレクトロ・アコースティクとチャンス・オペレーションが混じりあった、突拍子もないロード・ムービー。わたしにとっては、パーソナルな旅の記録でもあり、記憶でもある。自己の外に拡がる世界をめぐる旅でもあり、心のひだの奥底までもぐり込んでいくインナー・トリップでもある。いったいこれはなんなのか? なんと説明すればいいのか? 何百、何千、何万という無数の記憶から生まれてきた音楽、とでも言えばいいだろうか。
とは言っても、過去は過去に過ぎない。ひとつひとつの思い出は、ぼんやりと仄暗い羊の群れと成り果て、すでに忘却の領域に入り込んでしまっている。それらは在りし日の現実の影なのであって、生々しい手触りなど、すでに失われてしまっている。にもかかわらず、カセットに刻みこまれた無数の記憶のかけらと無邪気にたわむれていると、渾沌とした堆積のなかから、ときおり、透明な光につつまれた記憶のエッセンスのようなものが浮かびあがってくることがある。かつて見た/聴いた風景のすべてが突然フラッシュ・バックしてくるような、とてもクリアな一瞬だ。それは、もしかすると、だれしもがこころのなかに持っている記憶の原風景のようなものかもしれない。眼に見えはしないが、歴然とこの世界に存在し、ひとは独り独りそれをよりどころにして生きている。わたしは、自分自身の物語を紡ぎながら、そんなパーソナルな属性を超えた、他者と共有できるなにかに辿りつきたかった。
ジョナス・メカス、ロバート・フランク、ピーター・ビアードらのやってきたことにはずいぶんと触発されてきた。人間の持つ記憶のシステムに取り憑かれてきたひとたちだ。十代の多感な時期に彼らの作品と出逢ったことはラッキーだったと思う。過去3年間に渡って、わたしを励まし続けてくれたジョン・アップルトンにはとても感謝している。彼を通じて、エレクトリック・ミュージックの奔流から多くを吸収し、そのなかでなおかつ自分自身であることの大切さを自覚させられた。言わずもがな、わたしの記憶をめぐる旅は、多くのひとたちがめぐってきた無数の旅路と何処かでクロスしているように感じている。
2003年5月 ニューヨークにて
(恩田晃 CD『ボン・ボヤージュ!』 ライナー・ノーツ)